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慶応長崎事件 【主な年号(日付】 (馬上少年過ぐ 収録) 司馬遼太郎 [幕末]

慶応長崎事件に登場する主な年号(日付)です。

慶応長崎事件 (馬上少年過ぐ 収録) 司馬遼太郎著 を読みました
「慶応長崎事件」の内容(司馬遼太郎)
「慶応長崎事件」の登場人物(司馬遼太郎)
「慶応長崎事件」の主な年号(司馬遼太郎)


元治元年六月五日
池田屋ノ変

元治元年十月
勝海舟が神戸で不逞浪士を養っているとして謹慎を命ぜられる



慶応三年七月六日
海援隊隊士菅野覚兵衛と佐々木栄が英国水兵を斬殺する

慶応三年六月九日
坂本竜馬は土佐藩船夕顔丸で長崎を出港

慶応三年六月十一日
坂本竜馬、兵庫入港

慶応三年六月十四日
坂本竜馬、京都に入り「酢屋」に投宿

慶応三年六月二十二日
坂本竜馬、京都の小松帯刀邸で薩土秘密同盟を協議(薩摩藩西郷吉之助、土佐藩後藤象二郎、土佐藩福岡孝悌、土佐藩中岡慎太郎)

慶応三年六月二十六日
坂本竜馬が始めて西郷隆盛に大政奉還案を持ちかける

慶応三年七月二十八日
事件について幕府から土佐藩に正式連絡がある
坂本竜馬は松平春嶽から今回の事件を初めて聞く

慶応三年八月二日
松平春嶽から山内容堂宛ての手紙を持った坂本竜馬が土佐に入る

慶応三年八月三日
幕府軍艦回天丸が土佐に入港

慶応三年八月五日
幕吏を乗せた幕艦が土佐に入港

慶応三年八月六日
英国公使パークス、通訳官アーネスト・サトーを乗せた英国軍艦が土佐に入港

慶応三年八月七日朝
英国と土佐藩の正式談判が土佐藩夕顔丸船長室で行われる

慶応三年八月十八日
長崎奉行所にて取調べが行われる

慶応三年九月七日
長崎奉行所から海援隊本部に差紙を寄越

慶応三年九月十日朝
「御構いなし」

慶応三年十二月十二日(陽暦)夜十二時ころ
アーネストサトーが軍艦コケット号にて江戸に向かう

明治元年八月
パークスの執拗な抗議により大隈重信により再調査される

明治四年正月二十八日付け
パークスが山内容堂に英文の詫び状を送る
(土佐藩に嫌疑をかけたことを後悔したため)

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