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英雄児 【主な年号(日付】 (馬上少年過ぐ 収録) 司馬遼太郎 [幕末]

英雄児に登場する主な年号(日付)です。

英雄児 (馬上少年過ぐ 収録) 司馬遼太郎著 を読みました
「英雄児」の内容(司馬遼太郎)
「英雄児」の登場人物(司馬遼太郎)
「英雄児」の主な年号(日付)(司馬遼太郎)

安政六年
無隠(鈴木虎太郎)は「久敬舎」に入塾

安政六年六月
河井継之助は「久敬舎」を退塾

万延元年の初夏
河井継之助は山田方谷の元を去る

文久元年
河井継之助は越後長岡に帰る

文久二年八月二十四日
長岡藩主牧野忠恭(ただやす)が京都所司代に命ぜられる

文久二年九月十五日
牧野忠恭が京都を目指し長岡を発つ

文久二年九月二十九日
牧野忠恭が京都の役宅に入る

文久三年七月
牧野忠恭が京都所司代を辞任し長岡に戻る

慶応二年
町奉行を兼務(既に郡奉行)

慶応三年
年寄役を兼務

慶応四年(明治元年)
家老となる

慶応四年一月
鳥羽伏見の戦い

慶応四年二月
徳川討伐の詔勅が下る

慶応四年三月
東征大総督が駿府(すんぷ)入城

慶応四年三月七日
官軍の北陸道鎮撫総督が越後高田に入る

慶応四年四月
江戸城接収

慶応四年四月十七日八時
北陸道鎮撫隊を薩長の偽官軍であることを藩士に訓示する

慶応四年(明治元年)閏四月
執政(筆頭家老)に昇格
豊臣秀吉の神号が復活

慶応四年閏四月二十一日
官軍両部隊が高田を出発

慶応四年五月一日
使者を小千谷(おじや)の官軍本営に送る

慶応四年五月二日
官軍と会談を持つため長岡を出発する

慶応四年五月四日
諸隊を進発

慶応四年五月十一日
長岡、会津軍は榎峠を陥(おと)す

慶応四年五月十三日
旭山の戦闘で官軍を破る

慶応四年五月十五日
海道方面担当の官軍部隊が出雲崎(いずもざき)に入る

慶応四年五月十九日
長岡城落城

慶応四年五月二十日
栃尾退却

慶応四年五月二十一日
加茂に前進

慶応四年六月二日
今町の官軍本拠に攻め込み大手門を破り入城

慶応四年七月二十五日
城から官軍を追うことに成功する

慶応四年七月二十九日
官軍に長岡城をふたたび奪われる

慶応四年八月十六日
濃毒のため死ぬ

明治二年
新政府により河井継之助の家名断絶の令建がある

明治十六年
家名再興の恩典がある

明治二十七年
おすがは札幌にて死ぬ

明治三十二年
無隠(鈴木虎太郎)没
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